プレジデントロイターに興味深い記事。
http://president.jp.reuters.com/辣腕営業マンの蹉跌
プレジデント 2008年9.29号
PRESIDENTの記事から12年後、その青年実業家は東京証券取引所の一室でやつれ果てた体を折って、深々と頭を下げた。
児玉 博=文
キーワード: 経営者・社長 IT・インターネット 経営・組織 Size:
PRESIDENTは1996年4月号で「プロバイダーという新商売は、儲かるのか?」という小特集を組んだ。日本のITを牽引するソフトバンクが株式東証一部上場を果たしたのがその2年後で、まさに米国ヤフー社がソフトバンクと合弁でヤフージャパンを設立した年にあたる。
時代は、インターネットの胎動期だが、インターネットの出現が、世界を一変させるとは当時、誰が予想しただろうか。このような時代背景で小誌特集は組まれたのだが、新たなビジネスチャンスを求め、プロバイダービジネスに参入しようとする、創業6年目のマンション開発・販売会社があった。社員たちに囲まれた若々しい社長の写真とともに、その会社は紹介されている。
「27歳の若さで独立し、マンションの企画・設計・販売を手がける会社を設立。以来6年で、年商は1億6000万円から57億円へと実に36倍、社員も4人から80人へ、広島でのマンション販売市場の50%シェアを占めるトップ企業へと育て上げた青年起業家である」
PRESIDENTの記事から12年後、その青年実業家は東京証券取引所の一室でやつれ果てた体を折って、深々と頭を下げた。青年実業家の名前は、房園博行。約2500億円の負債を抱え、破綻に追い込まれたアーバンコーポレイション(以下、アーバン)創業者にして、社長である。
「3月以降、金融機関から新規融資や短期借入金の借り換えが困難になるなど資金繰りが急速に悪化した」
土壇場まで資金繰りの手当てに奔走していた房園はここ数十日で10キロ近く体重を落とした。房園は、関係各所にまず民事再生の手続きを伝え、自らの非力を詫びながら、迷惑をかけたことを謝罪し続けていた。その言葉は涙で何度となく途切れた。アーバンがわずか4人で広島市内のマンションの一室で産声を上げてから、18年。資本金190億円余り、従業員はグループ全体で1500名を超える企業に成長していた。2002年、東証一部上場をしたその日、東証の恒例に従い、房園が理事長に連れられて東証内部を案内された6年後のことだった。
房園は“才覚溢れた経営者”といわれた。96年時点で、インターネットでの営業展開を明確に視野に入れていたのもその証拠だろう。ある外資系投資銀行の幹部は経営破綻の一報を聞くや、「もったいない。彼(房園)にもう一度経営をやらせたい……」とその才を惜しんだ。
http://president.jp.reuters.com/article/2008/11/07/C455CAD0-A656-11DD-97F6-9DC93E99CD51-1.php
■最後まで切れなかった反社会的勢力との関係
房園は天才的な営業マンだった。62年、鹿児島県南さつま市生まれで、近畿大学工学部経営工学科を卒業後、大学大手マンションデベロッパー「大京」に入社し広島支店に配属された。その後、同社最年少課長となり、その営業術は今でも伝説だ。大京の営業は業界でも有名な個別訪問で、絨毯爆撃と称される。1軒1軒虱潰しに訪問し、1軒数千万円のマンションを売り込むのだ。靴底は減るが、契約は取れないと他の営業部員が苦しむ中、すぐ頭角をあらわした。
マンション購入をためらわせるのは今も昔もローンの負担額である。収入が不足してしまう夫婦に、房園は専業主婦がローンの不足分を補える1日数時間のアルバイト情報を携えては、戸別訪問を繰り返した。契約後も、職場を変えたいという主婦たちの相談にも快く乗り、新しいアルバイト先を紹介し続けた。
客が何を望み、何に悩むか。そうした客に対し、房園の営業は個別具体的だった。アーバンが軌道に乗った後も、客が何を望み、何を求めているか。それに対し、こちらが何を具体的に提供できるかという、房園の営業は変わらなかった。
たとえば、業界をアッといわせた東京・北青山の中古物件のリフォームがある。売りに出ていたのは築39年10階建てのオフィスビルで、20数社の入札の結果、最も高い値段で落札したのがアーバンだった。他の業者すべてがマンションへの建て替えだったが、アーバンのみがオフィスへの転用を提案したのだ。築年数が古く、容積率が今の半分しかないビルのオフィスへの転用は無理だろうと、アーバンの試みを冷ややかに見ていた。
房園が考えたのは、1階辺りの高さを確保し、容積率を上げるために各階ごとにフロアを取り払うやり方だ。最新のデザインを導入し、階高のオフィスを探していたIT系企業をテナントに迎えて商業ビルに変えた。大阪・梅田にある通称「アップルビル」も同様だった。アップル社が大阪での旗艦ビルを探しているとの情報を掴むと、同社に営業をかける一方、生保が所有していたビルを外資系証券会社から購入し、全面改装を施して、同社に提供した。客のニーズをいち早く掴み、求めるものを提供する営業法だ。
しかし、才溢れる房園が率いるアーバンがなぜ破綻し、追い込まれたか。
反社会的勢力との関係に尽きる。反社会的勢力の地上げ屋を手先に使っていたことが明らかとなって倒産したスルガコーポレーション(以下、スルガ)。スルガが地上げした土地をアーバンが購入したことで、メーンバンクのみずほ銀行から「反社会的勢力と関係あり」と烙印を押され、徹底した融資引き揚げにあった。これ以来、資金繰りは一気に行き詰まる。
金融界に吹き荒れる反社会的勢力、略して「反社」の嵐は一向にやみそうにない。いったん認定されれば、スルガ、アーバンのようになるのがいい例だ。
だが、「風説の流布」もどきの情報を株式市場に流すことで、儲けている仕手集団がいることを忘れてはいけない。
「反社」とは何を指し、誰が認定するのか。これらが不明なまま「反社」という言葉だけが独り歩きし、リスクを取りたくない銀行の闇雲な融資引き揚げに手を貸している。火のないところに煙は立たないという。しかしながら、アーバンの場合、メディアなどで指摘された火種は存在していた。
http://president.jp.reuters.com/article/2008/11/07/C455CAD0-A656-11DD-97F6-9DC93E99CD51-2.php
■業績の拡大を支えた「政官財」の華麗な人脈
アーバンの業績拡大は、房園の才覚のみならず、人脈の広さにも支えられた。創業間もない頃、房園をことのほか可愛がったのは橋口収(元広島銀行相談役・故人)。橋口は事務次官就任を逃したが、旧大蔵省を代表する大物OBで、広島銀行がアーバンを支えた。橋口は大蔵省OBの保田博、山口光秀(故人)などを房園に紹介している。橋口は日本銀行副総裁で、最近まで総裁候補として、政財界やマスコミを賑わせた武藤敏郎(現大和総研理事長)の岳父でもある。
そして、広島で創業したアーバンが大阪を経て東京へ進出するときに房園を助けたのが橘田幸俊である。この橘田とのつながりが、アーバン破綻の最大の原因となった。バブル時代、ゴルフ場開発などを手がけた不動産業「愛時資」代表だった橘田は、政界のみならず、裏社会にも顔の利く「バブル紳士」でもあった。
橘田に対し、裏社会への水先案内人を務めたのは佐藤茂(故人)。旧住友銀行と旧平和相互銀行との合併の裏を仕切り、政界と裏社会とのつなぎ役だった人物である。
橘田が経営していた栃木県にある東京北ゴルフ倶楽部の理事には、瀬島龍三(故人)、新井明(元日本経済新聞社社長・故人)などが名を連ねた。当時の「愛時資」本社役員に、岡田茂(東映名誉会長)、前野徹(元東急エージェンシー社長・故人)、樋口廣太郎(元アサヒビール会長)なども名を連ねたが、これは橘田の表の付き合いの象徴か。
国土法違反に問われ、暴力団幹部とともに逮捕された古傷を持つ橘田。その橘田を相談役として遇したアーバンには、常に橘田の風評が付いて回った。度重なるメディアの指摘から、房園も橘田を相談役から外し、関係を切ったと説明していた。だが、関係は続いていたようだ。東京・三番町にあるビルの一室には両名の表札があり、住民票には橘田の親族とともに、房園の親族が記載されていた。
房園の手腕だけに頼ったアーバンの経営は脆かった。決算のたびに、有価証券取引書が訂正されたが、東証一部上場企業でこれほど杜撰な決算報告書が出される例は珍しい。株主総会で可決された人事が一夜で変わるように、管理部門はぼろぼろだった。様々な言い分、言い訳があるが、経営破綻するには、必ず破綻する必然的な理由がある。敏腕営業マン、房園が犯した過ちの代償は大きい。(文中敬称略)
http://president.jp.reuters.com/article/2008/11/07/C455CAD0-A656-11DD-97F6-9DC93E99CD51-2.php
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